人間の心に潜む罪

創世記37章12~36節 ヨセフの兄たちの陰謀は、人間の内にある憎しみの恐ろしさが巧みに展開されていきます。ヨセフが近づいてきたときに兄たちは、彼を殺してその死体を穴(水の涸れた縦穴の井戸)に投げ込むことに決めました。彼らは、憎悪に駆られてヨセフを亡き者にしようとしたのです。つまり、実力行使による排 ...

夢見るヨセフと兄弟たち

創世記37:1~11 聖書は「ヤコブがヨセフを偏愛したのは、年寄り子であった」と述べています。ヤコブは、ヨセフに特別な着物を与えました。物をもって愛を表すことは、異常な愛情のしるしです。神の愛に基礎を置かない人間的な偏愛や溺愛は、何一つ良い結果を生まないのです。続いてヨセフは、麦束と天体の夢を兄たち ...

主において共に喜ぶ

フィリピの信徒への手紙4章10節~20節 使徒パウロは、獄中にあって、獄に入れた人たちへの非難や苦情を述べてはいませんし、注文や要求もしていません。彼は、福音宣教者としての活動を進める中で飢えや渇きに耐えなければならない時でも、また、着るものも枕するところもない時でも、すべての境遇に処する秘訣を心得 ...

目標を目指して走り続ける

フィリピの信徒への手紙3章12節~4章1節 聖書は、キリスト者の姿の一つに「目標を目指して走る走者」というイメージがあります。キリスト者は、ゴールである御国を目指してひたすら走り続ける走者というわけです。さわやかな春の季節、美しい花に囲まれている道を走ることもあれば、猛暑の砂漠の道を汗にまみれながら ...

喜びの人生

フィリピの信徒への手紙2章1~18節 フィリピの信徒への手紙は、使徒パウロの獄中書簡です。彼は、イエス・キリストを主とする信仰のゆえに捕らえられ、獄中にあってもなお、フィリピの教会の人たちを励ましたのです。キリストの福音は、共にあることを求めます。主にある兄弟姉妹と共に喜び、共に生き、共に神の恵みに ...

キリストを宣べ伝える喜び

フィリピの信徒への手紙1章12~30節 パウロは、信仰のゆえに監禁されていました。この監禁で彼の福音宣教の働きが終わりを告げるどころか、自分自身と他者のために福音を前進させることになるのです。特に兵営全体に福音が知れ渡り、兵士たちが神を信じる者となりました。使徒パウロは、どのような状況においてもキリ ...

新しく創造される

ガラテヤの信徒への手紙6章11~18節 何を誇るかによって人間性が分かると言われます。持ち物を誇る人、能力や知識を誇る人、業績や地位を誇る人、身体の剛健さを誇る人など様々です。皆さんは、何を誇りとして生きていますか。ガラテヤの諸教会の人たちの中に旧約の律法を誇る人がいました。彼らは、律法の形式を重ん ...

自由へと召し出される

ガラテヤの信徒への手紙5章2~15節 自由は、一般的に「自在、勝手気まま、遠慮がない、解放、釈放」という意味で使われています。これらの意味では、「自由」は掴みどころのないものとなってしまうでしょう。それでは、自由の本当の意味は何でしょうか。パウロは、ガラテヤの諸教会の人たちに「自由を得るために召し出 ...

キリストが形づくられるまで

ガラテヤの信徒への手紙4章8~20節 教会の中に惑わす人たちが入り込んで来ることがあります。そのような人たちは、福音の真理を曲げて教会を非難し、時に指導者を非難することもあります。教会を神の福音に沿って形成して行こうとするならばよいのですが、派閥的動機から敵意・反感を抱いてするならば問題です。使徒パ ...

キリストに結ばれる人は神の子  

ガラテヤの信徒への手紙 3章1~6節、3章26~29節  信仰を言い表してバプテスマ(バプテスト教会は、洗礼ではなく「バプテスマ(浸礼)」と呼ぶ)を受けた人は、神の子としてキリストを信じる信仰共同体(教会)に属します。そして、その信仰共同体は、キリスト・イエスにおいて一つとされます。パウロは、この「 ...