神に救い出される人

創世記19章15~29節 ロトは、真実を愛する人間でした。彼の住んでいるソドムの町には悪がはびこり、邪悪に満ちていました。そこで、主はソドムの町を滅ぼそうとされました。主はロトとその家族を救うために、御使いたちを通して彼らに邪悪な町 (罪の町) を捨てて山の上に逃れるように勧めました。しかし、ロトは ...

執り成しの祈りを導く神

創世記18章16~33節 選択する事柄によって、その人の人生が変わります。そのことをアブラハムと彼の甥のロトは、私たちに示しています。アブラハムは、ロトに対して土地の選択の優先権を与えました。そこでロトは、主の園のように潤っているヨルダン川流域の低地一帯を選びました。そこには邪悪な町ソドムも含まれて ...

幸福とは何か

創世記12章10~20節 ユダヤの格言に「幸福を追うと、満足から遠ざからなくてはならない。」というものがあります。人間は幸福でない限り満足しないということでしょうか。「幸福とは何か、それはどのような状態なのか、幸福をどのようにして計るのか。」と問われると人によって答えが違いますし、答えることができな ...

アブラムへの神の祝福 

創世記12章1~9節 アブラム (後のアブラハム) は、神に「わたしが示す地に行きなさい。」と命じられ、妻のサライ(後のサラ) と甥のロト、財産とハランで加わった人々を共にカナン地方に向かいました。私たちの知る限り、アブラムは、唯一の神の呼びかけがなされた時、神に対して文句や理屈を言わずに、直ちに従 ...

弱い時にこそ強し

コリントの信徒への手紙 二 12章1~10節 強さを誇る人たちは数え切れません。逆に弱さを誇る人は極めて少ないと思います。神は、心を低くして主イエス・キリストを迎える謙遜な人に恵みを施されます。人は皆、弱さを持っています。肉体的、精神的、知的、そして霊的な弱さや欠点を抱えています。さらに、経済的問題 ...

感謝に溢れる献げ物

コリントの信徒への手紙 二 9章1~15節 神は、恵みと賜物に溢れたお方です。教会は、限りなく豊かに与えてくださる神を仰いで、他者に豊かに与えることが求められています。神は、豊かに献げる人を愛されますが、それ以上に、神から受けた人がより以上に他の人々に与えるように求めるのです。奉献精神 (神の善い業 ...

最大の宝を持つ人

コリントの信徒への手紙 二 4章7~15節 クリスチャンは、キリストが内に生きておられることの証人です。信仰に生きるとは、まさに、「わたしは、キリストと共に十字架につけられている」との自覚を常に持って生きることです。十字架につけられた以上、生きているのは私たち自身ではありません。「キリストがわたしの ...

神に推薦される人

コリントの信徒への手紙 二 3章1~3節 人は、自己推薦に長けている人と他者推薦に長けている人に分けられます。自分を誇る人や自己都合を優先させる人は、他者から推薦されることやアドバイスを受けることを嫌い、ストレスを抱え込む傾向にあると思います。自信過剰で他者を正当な理由もなく非難する人もそのような傾 ...

復活の希望に生きる

コリントの信徒への手紙 一 15章50~58節 私たちは、日常生活において思わぬ苦難に遭うことがあります。過去に傷つけられ、苦しめられたことを記憶に留めて置く人は、他者への恨みと憎しみを抱いたまま生活することになります。そこから脱却するには、キリストの十字架と復活信仰に生きる以外ありません。キリスト ...

異言と預言について

コリントの信徒への手紙 一 14章1~19節 信仰は、神に依り頼んで生きることです。そして、神に依り頼むことは、自分自身を知らなければできません。私たちが「自分は神の前に罪人であり、神の救いと恵みを受けなければ生きていけない。」と受けとめて、はじめて自分自身を知ることができるのです。これが、人間らし ...