必要なことはただ一つ

ルカによる福音書10章38~42節 上記の聖書箇所は、2000年の時の隔たりを何一つ感じさせないほど鮮やかに、素直に、そして美しく、マルタとマリアの二人の姉妹を私たちの前に描き出しています。マルタは、確かに行動的であり、実践的でした。その意味において、マルタの行為はどこまでも「もてなし」という周辺の ...

憐れみ深い人になれ

ルカによる福音書10章25~37節  現代人は、「隣人とはだれか」と問うことをせず、自分と自分の周りにいる人たちだけの幸福を考えて忙しく立ち振る舞っています。多くの人は、自分の目の前で起きている悲惨な出来事を見て見ぬ振りして過ぎ去ります。まさに、あの祭司やレビ人のように「かわいそうね」の一言で通り過 ...

喜びの人生

ルカによる福音書10章17~24節  あなたが喜びとすることは何でしょうか。健康でしょうか。財産でしょうか。能力や体力でしょうか。実は、私たちの健康、財産、能力、それに気力も喜びの源泉というよりも、心配の種となる可能性があるのです。歳を重ねれば身体が弱って健康を損なうことを心配し、財産は使うに連れて ...

悲しみを喜びに変える神

ルカによる福音書7章11~17節  詩編の作者は、人の命の儚さについて「人の生涯は草のよう。野の花のように咲く。風がその上に吹けば、消えうせ、生えていた所を知る者もなくなる。」(詩編103:15~16)と語っています。死は、どんな年齢にかかわらず、すべての人のすぐ近くにあります。従って、死の備えをす ...

人生の方向を転換する

ルカによる福音書5:27~32  レビは、収税所に勤務する徴税人でした。ローマの占領下にいる人々は、重い税金を掛けられ苦しんでいました。徴税人は、法定外の税金を取り立てていたので人々から反感を買っていました。ところで、レビが収税所に座っている時に主イエスから「わたしに従いなさい」と言われ、彼は何もか ...

沖へ漕ぎ出そう

ルカによる福音書5:1~11 ゲネサレト湖(=ガリラヤ湖)は、漁師たちの働きの場です。真剣に働く人は、いい加減な仕事はできません。ペトロたちは、真剣に夜通し漁をしましたが何も獲れませんでした。彼らが岸で網を洗っている時に主イエスが来て「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」と言いました。彼らが主 ...

主の恵みの年を告げる

ルカによる福音書4章16~30節  主イエスは、お育ちになったナザレに行き、安息日に会堂に入るとイザヤの巻物が渡され、60章1~2節を朗読しました。この御言葉には、主イエス・キリストが私たちのもとに遣わされた四つの目的が記されています。捕らわれている人を解放し、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫 ...

キリストの福音の備え

ルカによる福音書3章7~20節 キリストの証し人としてのバプテスマのヨハネは、徹底して主イエス・キリストに仕える者として立っています。「わたしはあなたたちに水でバプテスマを授けるが、私よりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打もない。」と語る彼の言葉の中に真実があります。証し人 ...

悲しみを負いつつ生きる

マタイによる福音書2章13~23節 幼子イエスは、羊飼いたちや占星術の学者たちの祝福を受けましたが、間もなく、ヘロデ王に追われて密かにエジプトへ旅立ちました。神が人間になった時、安住の地を見出すことができませんでした。主イエスは、いわゆる「家なき子」として旅先の家畜小屋に生まれ、流浪する人として不安 ...

学者たちの旅と信仰

マタイによる福音書2章1~12節  東方の占星術の学者は、何の目当てもなく、また、闇雲に旅に出たのでもなく、不思議に輝く星を見つめながら旅を続けました。輝く星は、終始彼らを導きました。彼らは、知恵と知識が豊富でしたが、それに頼ることなく、星に導かれるままに旅をしたのです。この星は、主イエスと出会う道 ...