父の過ちと娘の死 

士師記11章29~40節

エフタは、ならず者と暮らすようになって世渡り上手な処世術を身に付けました。そして、自分が求めることは何でもしてくれるという考え方になりました。エフタは、戦地から無事に帰った時、自分の家の戸口から迎えに出て来る者を主のものとする (犠牲の献げ物とする) という誓いを立てました。神の憐れみでアンモン人に勝利したエフタを迎えたのは、彼の一人娘でした。彼の誓いによって娘が犠牲になったのです。主イエスは「主に対して誓いを立てるな」(マタイ5:33~35) と語っています。今日でも両親の身勝手な暴言や暴力によって、幼い子たちの命が失われるという報道が絶えません。これは、子どもたちの意志を無視し、親の一方的な考えによって子どもを私物化する行為にほかなりません。エフタの娘の死は、父親の神に対する不忠実と不従順の犠牲と言えるでしょう。人間は、誰ひとり罪を犯さない者はなく、人は皆、イエス・キリストにある救いを必要としているのです。そして、イエス・キリストの十字架による救いの恵みにあずかったならば、共に生きるという責任を負うことになるのです。神は、私たちが誠実な信仰生活に励むことを求めておられるのです。

2018年9月9日 加山彰一