異言と預言について

コリントの信徒への手紙 一 14章1~19節

信仰は、神に依り頼んで生きることです。そして、神に依り頼むことは、自分自身を知らなければできません。私たちが「自分は神の前に罪人であり、神の救いと恵みを受けなければ生きていけない。」と受けとめて、はじめて自分自身を知ることができるのです。これが、人間らしく生きる秘訣です。コリントの信徒への手紙 一14章4節で使徒パウロは、「異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は、教会を造り上げます。」と語っています。恍惚的に語る異言は、人間の発する神への祈りであり、その解釈がなければ人々は理解することができません。一方、預言 (神の言葉の宣教と証し) は、人々に向かって語るので、人を造り上げ、励まし、慰めるのです。(コリント一14:3) 使徒パウロは、「他の人を教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るよりも、理性によって五つの言葉を語る方をとります。」(コリント一14:19) と語り、キリスト者に対して預言の言葉を語るように勧めています。

2018年5月20日 加山彰一