クリスマスの主をお迎えする

2020年12月13日 礼拝メッセージ全文

マタイによる福音書1章18~25節

 

アドベントの3週目を迎えました。いよいよ来週はクリスマス礼拝、そして24日にはクリスマスイブ礼拝を行います。今年はコロナウイルスの影響で、いつも通りすべての方々と集まって礼拝をささげることが難しい状態です。しかしそれでも、私たちが同じ聖書を読み、心を一つにして礼拝をささげることができるということ、このことが変わることはありません。

さて、聖書は、クリスマスの出来事を、色々な立場の人の目線から伝えています。その中で特に今日の聖書の箇所は、ヨセフという人の目から見たイエス様の誕生の出来事を伝えています。この箇所を通して、ヨセフがどのようにしてイエス様の誕生を受け入れたのかを知ることができます。

 

1.ヨセフの驚き、不安

ヨセフにとって、イエス様の誕生とは、どのような出来事であったでしょうか?それは、まず、喜びよりも驚きと不安をもたらすものでした。

神の子であるイエス様は、ヨセフと婚約していたマリアに「聖霊によって身ごもった」と今日の箇所は伝えています。ここには、ヨセフが「正しい人」であったとも書かれています。つまり、ユダヤ人の律法に従って生きる人であったということです。そのようなヨセフが、結婚前にマリアと関係を持つということは考えられません。それなのに、マリアは既に子を宿していると言うのです。しかもその子どもは「聖霊によって宿った」、つまり、神様の子であるということです。ヨセフはそのことを知ったとき、どれほど驚いたことでしょうか。また、不安を感じたことでしょうか。

誰でも、子どもが与えられるという時には、驚きと不安を感じるものだと思います。私も去年の春、子どもを授かったことを知った時、とても驚きました。そしてそれは嬉しいことでしたが、同時に不安な気持ちもありました。当時私はある派遣会社で働きながら、将来の導きを祈っていました。具体的な働きの場所も定まらず、子どもが与えられて大丈夫だろうかと不安を感じました。また、住んでいた家はエレベーターのないアパートの4階で、車もなく、今考えると環境的にも子育ては難しい状況であったと思います。しかし、神様が与えて下さった子であればこの子は生きる、と信じて、夫婦で祈り続けました。

ヨセフもこの時、私たちには想像もできないほどの大きな驚きと、そして不安の中にあったのだと思います。まだ結婚もしていないのに、自分達は今後どうなるのか。もし、自分以外との関係の中でできた子なのだとしたら、マリアは律法に従って死刑にされてしまいます。また、もしマリアが潔白であったとしても「聖霊によって身ごもった」とはどういうことか。自分は何かとんでもないことを背負うことになってしまうのではないか…。ヨセフの言葉はここに記されていませんが、そのような不安や問いかけが心の中にあったのではないかと思います。

 

2.主からのメッセージを受け取る

そのようなヨセフのもとに、主は、マリアに与えられた子が救い主であるということを伝えるために、天使を遣わされました。神様は、私たちの一人一人に、最適な時に、最適な仕方で、ご自分のメッセージを伝えて下さいます。ヨセフは、マリアが結婚以外の関係の中で子どもを宿したという疑いをかけられ、殺されてしまうということを恐れ、ひそかにマリアと別れようと決心をしていました。しかし、正にその時、ヨセフは夢を見て、その夢の中で、天使が主からのメッセージを伝えました。

 

「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい(20節)」

 

マリアのことで悩み、不安を感じていたヨセフに、天使は、「恐れずに妻を迎え入れなさい」と語りました。そして、マリアに与えられた子は神様の子であるということを伝えました。マリアのことを大切に考えつつも、妻として迎えるという決断ができなかったヨセフに、天使は、このことが救い主をもたらすという神様の偉大な計画を成し遂げるものであるということを伝えました。これが、主からのメッセージであることをはっきりと示すために、天使は同じ内容のことを、妻マリアにも伝えました。

 

「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい(ルカによる福音書1章30~31節)」

 

ヨセフとマリアの二人に、それぞれ違った仕方ではありますが、神様は「恐れるな」というメッセージを与えられました。それは、私たちに対して語られているメッセージでもあります。ヨセフのように、私たちも将来に対する色々な不安や葛藤があるかもしれません。しかし、それでも、恐れずに、私たちのために世に来て下さったイエス様を信じ続けること、それが、クリスマスの出来事を通して私たちに与えられているメッセージです。

 

3.主をお迎えする

どんなに素晴らしい啓示を神様から受けても、どれだけ多くの聖書の御言葉を読んでも、それを受け入れるかどうかは、私たち人間の側にゆだねられています。ヨセフは、夢の中で天使の言葉を聞いたとき、すぐにそれを受け入れました。

 

「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ(24節)」

 

ヨセフのしたことは、妻マリアを迎え入れたということだけでなく、マリアを通して生まれる救い主であるイエス様を迎え入れたということでもあります。そのことによって、彼らは人々からの誤解や誹謗中傷、迫害を受けなければならなかったかもしれません。しかしそれでも、恐れずに主をお迎えするという決断をヨセフとマリアは行いました。もちろん、すべては神様の計画どおりであった訳ですが、私たちはこのようなヨセフやマリアの信仰の姿勢から学ぶことができると思います。

イエス様は、ヨセフやマリアのもとに来て下さったように、私たちのもとにも来てくださいます。しかし、私たちがイエス様を信じて、生活の只中にお迎えしようとする時、ヨセフが感じたように、戸惑いや不安を覚えることがあると思います。それは主の恵みを知りつつも、自分の力で生きていたい、自分の願いどおりに生きたい、と考える罪の性質が、私たちの内にあるからです。そのような私たちに対して、主は、「恐れずに主を迎え入れなさい」と語っておられます。それは、自分にとって居心地の良いと思われる場所から一歩外に出て、主と共に生きるということを決断するということです。これは、一つの大きな冒険であると言えます。ヨセフがマリアと共に、そして主であるイエス様と共に生きるという大きな冒険に一歩踏み出したように、私たちもまた、イエス様と共に生きる信仰の冒険に向かって踏み出すように、今この時も主は、私たちを招いておられます。

 

イエス様のもう一つの呼び名は「インマヌエル」であると、今日の箇所は伝えています。これは、「神様が私たちと共におられる」という意味の言葉です。イエス様がこの世に生まれられたのは、私たちがこの方をお迎えし、この方と共に生きるためであった、ということを、この言葉は示しています。ですから私たちは、どのような時も、インマヌエルであるイエス様と共に生きることができる者とされています。

このクリスマスの時、神様は私たちにどのようなメッセージを語っておられるでしょうか。そして、神様は私たちの心のどこに、イエス様をお迎えするように願っておられるでしょうか。インマヌエルである方、イエス様は、私たちと共に生きるために、約2000年前のベツレヘムで生まれて下さいました。そして、今でも生きて、私たちのそれぞれの人生の中で、出会って下さいました。このイエス様を今一度心にお迎えして、クリスマスの時を迎えましょう。