悲しみを負いつつ生きる

マタイによる福音書2章13~23節

幼子イエスは、羊飼いたちや占星術の学者たちの祝福を受けましたが、間もなく、ヘロデ王に追われて密かにエジプトへ旅立ちました。神が人間になった時、安住の地を見出すことができませんでした。主イエスは、いわゆる「家なき子」として旅先の家畜小屋に生まれ、流浪する人として不安な旅を続けました。現在、政治的社会的理由によって安住の地を求めて異国に旅する大勢の避難民がいます。彼らは、言語や習慣の違う異国の中で偏見を受けながら生きるために艱難を偲び、愛する者を守りながら旅をしなければならないのです。一国の中でも人々は住み慣れた農村を離れて、雑踏や汚濁の多い都会の間を旅する人となっています。主イエスは、エジプトへの砂漠の道を歩みました。それは、不安と孤独な旅でした。主イエスの生涯は、このような旅の連続でした。このことは、神は、旅する人間との連帯性を表しています。幼子イエスの逃避行は、孤独と不安の中で悲しみを負いつつ生きている人たちの中に神が共にいてくださることを示しているのです。 


2018年12月30日 加山彰一