憐れみ深い人になれ

ルカによる福音書10章25~37節

 現代人は、「隣人とはだれか」と問うことをせず、自分と自分の周りにいる人たちだけの幸福を考えて忙しく立ち振る舞っています。多くの人は、自分の目の前で起きている悲惨な出来事を見て見ぬ振りして過ぎ去ります。まさに、あの祭司やレビ人のように「かわいそうね」の一言で通り過ぎて行くのです。それでいながら、自分では絶えず「隣人」を求めているのです。「わたしの隣人とはだれか」という問いは、「だれがその人の隣人になったか」という主イエスの問い返しの中にその答えが与えられています。主イエスは、私たちに「自分の隣人」を探し回るのではなく、「自分の隣人になってくれた」、あるいは、「自分の同伴者となってくれた」お方はだれであるかを教えているのです。私の隣人、私の同伴者となられたお方は、愛と憐れみに満ちたイエス・キリストです。そのイエス・キリストが私たちに「行って、あなたも同じようにしなさい。」と勧め、「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」(ルカ6:36)と語っておられるのです。   

2019年2月17日 加山彰一