祈りの城壁を築く

2022年10月30日 礼拝メッセージ全文

ネヘミヤ記2章1節~10節

10月31日は、宗教改革記念日です。今から約500年前の1517年10月31日に、マルティン・ルターが、ドイツのヴィッテンベルグ城教会に「95か条の論題」を貼り出し、宗教改革運動が始められたのがこの日であると言われています。私たちバプテストを含むプロテスタント教会が形成されたのは、この出来事に由来します。しかしルターは、プロテスタントという新しい教会を作るために論題を貼り出したのではありませんでした。この世の力に頼り、御言葉から離れてしまった当時の教会が、もう一度神様を第一とする信仰に立ち返ることを求めてのことでした。

その意味において、今日私たちに与えられた聖書箇所に登場するネヘミヤは、ルターと同じように、御言葉に立ち返ることを求めて改革を進めた人であると言うことができます。ネヘミヤによる改革の中で最も中心的なものは、エルサレムに城壁を築くということでした。それは、城壁という建築物を再建することに意味があったというよりも、イスラエルの民が御言葉に立ち返り、霊的な城壁を建て直すということに意味がありました。私たちも今日、ネヘミヤの言葉から、神様を第一とする信仰に立ち返り、霊的な城壁を築くことの大切さを教えられています。今日の箇所から、そのために大切なことはまず、お祈りであるということを示されます。

 

1.王の前で

ネヘミヤは、ペルシャの王アルタクセルクセスに、献酌官として仕えていました。献酌官とは、王が飲んだり食べたりするものに毒が入っていないかどうかチェックする仕事でした。それは、王の最も身近なところで仕える働きでした。しかし当時の王様は、絶対的な権力を持っていました。献酌官であるネヘミヤが、王に意見などできるわけはありませんでした。しかしネヘミヤの心の中には、一つの大きな願いがありました。それは、侵略によって被害を受けていた祖国ユダの都エルサレムを復興したいということでした。

1章1~4節は、ネヘミヤのもとにエルサレムの状況を知らせる人々がやって来たと伝えています。ネヘミヤはエルサレムが壊滅的な状態にあることを知り、「座り込んで泣き、幾日も嘆き、天にいます神に祈りをささげた(4節)」と書かれています。続く箇所はネヘミヤの祈りを記していますが、その最後の部分は次のようなものでした。

11節「おお、わが主よ、あなたの僕の祈りとあなたの僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください。わたしたちは心からあなたの御名を畏れ敬っています。どうか今日、わたしの願いをかなえ、この人の憐れみを受けることができるようにしてください」

ネヘミヤは、「この人」、つまり王様から憐れみを受けることができますようにと祈っていたことが分かります。ネヘミヤはこのように祈りながらも、どのようにして王から憐れみを受け、エルサレム復興のために働くことができるのか、全く分からなかったと思います。しかし、すべてを主の御手にゆだねて祈ったネヘミヤの祈りに神様は答えてくださいました。今日の箇所である2章は、その事実を伝えています。

2章1節に「アルタクセルクセス王の第二十年、ニサンの月」と書かれています。これはユダヤ人の暦で3月~4月のことで、1章1節の「キスレウの月」、すなわち11月~12月の時から、3~4か月が経過したことになります。ネヘミヤはこの3、4か月の間、神様に祈り続けて過ごしていたと思います。すると神様は、突然、思いもよらない形で、王様に願いを伝える機会を与えてくださいました。ネヘミヤの方から王に願い出るのではなく、王の方からネヘミヤに尋ねかけてくれたのです。

2~3節「王はわたしに尋ねた。『暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない。』わたしは非常に恐縮して、王に答えた。『王がとこしえに生き長らえますように。わたしがどうして暗い表情をせずにおれましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです』」

ネヘミヤは王に突然として「どうかしたのか。」と尋ねられて、「非常に恐縮した」と書かれています。この部分は、原文では「非常に恐れた」となっています。彼は何を恐れたのでしょうか。それはまず、目の前の王の存在でした。当時、王に刃向かえば重罪、死刑になるかもしれなかったわけです。エルサレムを再建したい、などと言ったら自分はどうなってしまうのか、そのように王をネヘミヤは恐れたと思います。しかし彼がもっと恐れたのは、主なる神様の方であったと思います。彼は、3、4か月の間、王の憐れみを受けることができるようにと祈ってきたのでした。その時が、まさかこのような形で来るとは、思ってもみなかったことでしょう。ネヘミヤは、神様の急な展開に戸惑いながらも、神様に対する深い畏れの念を抱いたと思います。

 

神様に祈る時、神様は道を開いてくださいます。それは時に、物事に急な展開が与えられるということです。私たちはその時が来た時に正しい決断ができるように、日頃から祈っていることが大切です。そのような祈りの中で、私たちの周りに霊的な城壁が築かれてゆくからです。

私は以前仕えていました教会で副牧師として奉仕をしていましたが、その次の道として、新しい場所での開拓伝道を目指して準備を始めました。しかし、具体的には何も進展がなく、遂に教会から送り出されるまであと一か月という時になりました。そこで、特別に祈りの必要を感じて私は妻と共に、教会からかなり離れたところにある祈祷院で一日かけて祈ることにしました。自然の真っ只中にある祈祷院で、主の導きを求めて祈り続けました。その時、特別な導きは得られませんでしたが、素晴らしい平安に満たされることができました。すると、その翌週のことでしたが、突然ある牧師夫妻とお話する機会が与えられ、その方から、牧師のいない既成の教会での牧会を目指したらどうか、というアドバイスをいただくことになりました。その時に、私はそのことがとても素直に受け入れられ、主の導きであると感じました。しかし、教会の主任牧師の先生からは開拓伝道を勧められていたので、どのように話したらよいか迷いました。すると、先の牧師の方が、私は何もお願いをしなかったのですが、主任牧師と話しをしてくださり、全く角が立たない形で私は既成教会での牧会を目指すという方向転換をすることができました。

 

私たちがお祈りをしてゆくという時、神様の力によって、様々な問題の壁が崩されてゆくということを経験します。そしてそれと同時に、祈りの中で、自分に向かうあらゆる攻撃や災いに対する防御の壁が作られてゆくことも経験することができます。ネヘミヤは、主に祈り続ける中で、そのような霊的な壁を築いてゆきました。今日の箇所の4節を見ると、ネヘミヤは、王と会話をしながらも、心の中で祈りつづけていたことが分かります。ネヘミヤは、決して王の権威を軽んじることなく、慎重に、かつ祈りつつ、エルサレムを再建したいという自らの願いを王に伝えました。すると王は、何の反対もせずにネヘミヤの願いを聞いてくれたのです。そして、ネヘミヤはエルサレムに行くことを許されるだけでなく、王様から直々に書状を受け取ることもできました。彼はこの書状によって、各地で通行許可を得ることができ、また城壁再建に必要な材木も得ることができるようになったのです。

8節後半「神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた」

ネヘミヤはこれらすべてのことが決して偶然ではなく、神の御手によって守られてのことだと信じました。彼がそのように信じることができたのも、やはり彼がその時に至るまで、主の前に心を注ぎだして祈ってきたからこそであると思います。神様は、ネヘミヤの祈りに答え、城壁再建へ続く道を開いてくださいました。私たちも、それぞれの祈りの課題を神様に祈りゆだねてゆく時に、神様が私たち自身の周りに霊的な城壁を築いていってくださることを信じてゆくことができます。

 

2.妨害の中で

10節「ホロニ人サンバラトとアンモン人の僕トビヤは、イスラエルの人々のためになることをしようとする人が遣わされて来たと聞いて、非常に機嫌を損ねた」

ネヘミヤ記を読んでいくと、これらの人々がネヘミヤの働きを妨害しつづけたことが分かります。これは、エズラ記においても同じですが、神殿の再建や城壁の再建、という神様の働きに対しては、周囲の人々から多くの反発がありました。しかし、そのような中で、神様自身の力によって、再建が成就されました。ネヘミヤ記の中で、ネヘミヤは、色々な人々からの妨害を受ける中で、常に主なる神様に祈り続けました。自分の力によって城壁建設を進めるのではなく、主に祈っていく中で、主御自身の力によって再建がなされてゆくことを経験してゆきました。

私たちも、神様の御心が示されて、それに従っていこうとする時に、必ずそのことに対する妨げを経験します。しかし、ネヘミヤがしたように、肉の力で戦うことをせず、主に祈り続けることによって、神様ご自身が道を開き、私たちを守ってくださるということを信頼することができます。私たちは、そのような祈りを通して、霊的な城壁を築き続けてゆく者です。

 

3.兄弟たちと共に

そのような城壁は、私たち一人の祈りによってだけ築かれるものではありません。祈り祈られる中で、神様が霊の城壁を築いてくださいます。ネヘミヤも、そのように祈りの連帯の中にあったことがうかがえます。1章の初めの部分を読むと、ハナニと呼ばれる一人の兄弟が、ユダから何人かの人を連れ立ってネヘミヤのもとにやって来たと書かれています。ネヘミヤは、エルサレムの惨状について彼らから聞き、「座り込んで泣き、食を断って祈った」ということです。ここにははっきりとは書かれていませんが、ネヘミヤは、この時ユダからやって来た人々とも一緒に祈ったのではないだろうか、と思います。そして、おそらくはこの人々は、ユダに帰ってからもネヘミヤのことを思い出して、彼のため、そしてエルサレムの復興のために祈り続けたのではないかと思うのです。神様は、そのようなネヘミヤの祈り、人々の祈りを聞き届けてくださいました。その結果として、ネヘミヤは王様から憐れみを受けることができ、城壁再建へと続く道を進んでゆくことができた、という神様の御業を私たちは今日聞いています。

 

ネヘミヤがそうであったように、私たちの一人一人も、神様の守り、神様の霊的な城壁を必要としています。私たちが祈るとき、兄弟姉妹と共に祈るとき、神様ご自身がその城壁を築いてくださるということを私たちは信じることができます。

イエス様は「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる(マタイ18:19)」と言われました。イエス様を信じ、イエス様の御名によって私たちが心を一つにして祈る時、神様は私たちの祈りを聞いてくださいます。そして神様は、私たちの周りに霊的な城壁を築いて下さり、いかなる悪の力も災いも、私たちに触れないように守り続けてくださる、そのことを私たちは信頼します。