神は私たちを忘れない

創世記40章1~23節

ヨセフは、ポティファルの妻の憎しみと悪意に満ちた訴えによって牢獄に入れられました。しかし、主がヨセフと共におられて、監守長の目にかなうように導かれたので、彼は自分のすることをヨセフに委ねました。そのうちに、エジプト王の給仕役の長と料理役の長が王に過ちを犯したので監獄に入れられました。そして、彼らはそれぞれ別の夢を見ました。給仕役の長の見た夢は、ぶどうが一瞬のうちに花を咲かせ、実が熟し、そして発酵し、そのぶどうをファラオの手にしていた杯に搾って献げるというものです。一方、料理役の長の見た夢は、料理を入れる編んだ三個の籠が彼の頭の上にあり、一番上の籠の料理を鳥が啄みました。二人は、ヨセフに夢の解き明かしを依頼しました。その結果、給仕役の長は元の職場に復帰し、料理役の長は死刑の判決を受けて首をはねられ、木にかけられてしまいます。ヨセフは、給仕役の長に「仕事に復帰したら、自分の事を思い出してください。」と願いましたが、彼はそれを忘れてしまいました。人間は、互いの約束を忘れやすいものです。しかし、神は、私たちを決して忘れることがないのです。家族のもとを離れ、エジプトで一人の生活を余儀なくされたヨセフは、真の神がいつも共にいてくださると確信し、勇気と力を与えられて雄々しき生きることになります。私たちには、私たちを決して忘れることのない、救い主イエス・キリストがおられるのです。

          2019年7月28日 加山彰一