荒波から凪へ

ヨハネによる福音書 6章16~21節

私たちの人生において、時として荒波に揉まれる時があります。ヨハネによる福音書6:16には、夕方に弟子たちがガリラヤ湖畔に下りて行き、舟に乗って湖の向こう岸に行った記事があります。マルコによる福音書では、「主イエスが弟子たちを強いて舟に乗せた。」(マルコ6:45)と記されています。やがて、強い風が吹いて湖は荒れ始め、舟は大きく揺れています。私たちの人生航路においても、時に暴風に襲われて大きく揺れることがあります。重い病に伏す時、経済的な困窮に襲われると時、夫婦間や親子間の家族的危機の時、災害に遭遇すると時など、様々な時に人生航路の舟は大きく揺れるのです。その時、主イエスは、「わたしだ。恐れることはない。」と語ります。弟子たちは、主イエスの御言葉によって、恐れから解放されたのです。私たちも人生の嵐に悩みながら主イエスの御声を聞くことができるのです。弟子たちは、主イエスを舟に迎えて新しい航海が始まりました。これは、私たちにとっては、主と共なる新しい人生が始まったことを意味します。主イエスが舟に乗り込まれると嵐は静まりました。一心に主イエスを信じて生きるとき、心の動揺はおさまります。その時、心の黒雲は消えて晴れ渡り、死の恐れに支配されることはなく、希望に生きることができ、救われた喜びと平和に満たされるのです。イエス・キリストは、私たちを神の国に導くために、この世に来てくださいました。そして、十字架の上で私たち人間の罪のあがないとなられたのです。人間にとって大切なことは、主イエス・キリストを内に迎えることです。私たちが自らの罪を悔い改めて、主イエスの十字架を信じる時、主は私たちの罪を赦してくださって、主ご自身が私たちの内に宿り、私たちの主となるのです。

2020年1月19日 加山彰一