自由へと召し出される

ガラテヤの信徒への手紙5章2~15節

自由は、一般的に「自在、勝手気まま、遠慮がない、解放、釈放」という意味で使われています。これらの意味では、「自由」は掴みどころのないものとなってしまうでしょう。それでは、自由の本当の意味は何でしょうか。パウロは、ガラテヤの諸教会の人たちに「自由を得るために召し出されたこと」を心に留めるように勧めています。これは、神の主権において私たちを神との関係に招くことを意味しています。「自由を得る」とは「罪からの解放」です。また、自由は、自分の権利や主張を突き付けることではなく、むしろ、自尊心、世間体、それに党派心などから解放されてキリストの愛を基として互いに仕え合うことです。それは、「隣人を自分のように愛しなさい。」(レビ記19:18) とあるように、互いの重荷を負い合うことです。キリストによって自由へと召し出されたことを受けとめる人は、主イエスがその生涯と十字架を通して示してくださった愛を他者に示すことができるでしょう。それを神が私たちに求めておられるのです。

 2019年5月26日 加山彰一