ガラテヤの信徒への手紙 3章1~6節、3章26~29節
信仰を言い表してバプテスマ(バプテスト教会は、洗礼ではなく「バプテスマ(浸礼)」と呼ぶ)を受けた人は、神の子としてキリストを信じる信仰共同体(教会)に属します。そして、その信仰共同体は、キリスト・イエスにおいて一つとされます。パウロは、この「一つ」という言葉を使うことによって、教会の概念を均整の取れた健全なキリストの体を言い表します。こうして、キリスト者は、必然的にアブラハムの子孫とされ、神の約束の相続人となります。従って、キリストの体なる教会を離れては、キリスト者の信仰の意味がなくなります。なぜなら、キリスト者は、イエス・キリストを信じる信仰によってキリスト・イエスに結ばれ、神の子とされているからです。キリスト・イエスに結ばれる根拠は、イエス・キリストを信じる信仰にあることは言うまでもありませんが、それと同時に、キリストを着ること(バプテスマ)と関連があります。パウロは、バプテスマに聖霊が深く関わっていることとし、キリストを着ることがキリスト者としてキリストを具現し、キリストの生き様に倣って生きることを表明するものであると述べているのです。
2019年5月12日 加山彰一