ガラテヤの信徒への手紙6章11~18節
何を誇るかによって人間性が分かると言われます。持ち物を誇る人、能力や知識を誇る人、業績や地位を誇る人、身体の剛健さを誇る人など様々です。皆さんは、何を誇りとして生きていますか。ガラテヤの諸教会の人たちの中に旧約の律法を誇る人がいました。彼らは、律法の形式を重んじ、自分自身を誇りとし、罪の悔い改めの厳粛さも知らず、人間の思いに支配され、神の言葉を軽視するという誤りに陥ってしまいました。使徒パウロは、「自分の誇りとするものは、キリストの十字架です」と語っています。キリストの十字架、それは、ユダヤ人には「つまずき」であり、異邦人には「愚かなもの」です。キリストの十字架は、キリスト者の生活の決定的なものであり、他の一切のものを受け付けない基礎的な規準です。すべての人の主であるイエス・キリストは、十字架に死んで葬られただけではなく、三日目に復活されました。そして、今も生きて働かれて、信仰を告白してバプテスマ(洗礼)を受けたすべての信徒たちと共に歩み続けておられます。こうして、キリスト者は、命を自分自身の中ではなく、イエス・キリストの中に持つ者とされます。これこそが、新しく創造されるという意味なのです。
2019年6月2日 加山彰一