私たちに対する神の憐れみ 

ルカによる福音書13章1~9節

ルカ13章1~5節は、主イエスがエルサレムで起きた二つの出来事を取り上げて、私たちに対して罪を悔い改めることの必要性を述べています。さらに、主イエスは、自分の罪を悔い改めようとしない人たちに「ぶどう園の実のならないいちじくの木」(ルカ13:6~9)のたとえを話されます。主イエスは、この実のならないいちじくの木を忍耐して待たれる園丁こそがご自身であることを示しつつ、「来年こそは実をならせるのではないか」と期待して愛と憐れみを注いでおられます。このたとえ話には、厳格な主人(父なる神)に対して園丁(主イエス)の努力と忍耐が対照的に描かれています。恵みと憐れみに満ちておられる主イエス・キリストの働きは、私たちが自らの罪を悔い改めて神のもとに立ち帰り、信仰の実、霊的な実を結ぶために今もなお続いているのです。これこそ、キリストの十字架の恵みと言えましょう。私たちは、神の御前に背水の陣を敷き、神を信じて従うならば、実を豊かに結ぶいちじくの木へと変えられ、神の栄光を現すことができるのです。          

2019年3月10日 加山彰一