口を大きく開けよう

2021年11月7日 礼拝メッセージ全文

詩編119編129~139節

毎週水曜日の聖書の学び・祈り会では、詩編を連続して読んでいます。昨年の4月から毎週1編ずつ読み進め、先週の箇所は81編でした。その中の御言葉に次のようなものがありました。

81編11節「わたしが、あなたの神、主。あなたをエジプトの地から導き上った神。口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう」

さて、今日の箇所でも、同じような言葉が語られています。

131節「わたしは口を大きく開き、渇望しています。あなたの戒めを慕い求めます」

先の御言葉は、神様から私たちに向けて、「口を広く開けよ」と語っているのに対し、今日の御言葉は、それに対応するかのように、「わたしは口を大きく開き、渇望しています」と語っています。神様は、今、これらの箇所を私たち水戸教会に与えることを通して、何を語っておられるのでしょうか?

 

1.驚くべき定めを受け入れる

129節「あなたの定めは驚くべきものです。わたしの魂はそれを守ります」

神様が私たちの一人一人に定めておられる人生は、本当に驚くべきものです。私たちの人生の一歩一歩は、偶然の産物ではなく、神によって定められています。その神の定めを、神の御心を、私たちは人間の知恵で、理解することはできません。

しかしここで、「わたしの魂はそれを守ります」と言われています。これは、分からないながらも、神とその御心を信じて、従ってゆくということです。神様は、人間にご自身の驚くべき定め、御心を、示してくださいました。それを、私たちは御言葉を通して知り、そして信じることができます。

130節「御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます」

御言葉が開かれることで、私たちに理解が与えられる、と言われています。聖書の言葉はそのように、私たちに神様の知恵を与えます。しかしそれは、聖書の言葉を読むことで、自動販売機のボタンを押せば好きなものが出てくるかのように、私たちの求める人生の答えが与えられるということではありません。何か困ったときに、パッと聖書を開いてみるということは私もあります。しかし、そこに書いてあることを、今の自分に与えられた答えだと断定とするのは危険だと思います。

ここには「御言葉が開かれると光が射し出で」と書いてあります。それはつまり、聖書の言葉はどこを開いても、神の光、すなわちイエス・キリストの光で私たちを照らすということです。そしてこのイエス・キリストの光こそが、「無知な者に理解を与え」ます。つまり、御言葉は、まず、私たち自身がいかに無知な者であるか、また愚かな者であるか、を明らかにします。もし、私たちが聖書の言葉を聞いて、「ああこれは分かる」「これならできる」と思うなら、それは分かっていないということになるのです。神様の光は、私たちの内にある罪の暗闇を照らし、神様を信じることのできない自分の姿、神様に喜ばれないことを行ってしまう自分の姿、を明らかにします。しかし、もちろんそれで終わりではありません。御言葉は、同時に、それらの罪をすべて赦す恵みがあるということを伝えます。神であるイエス・キリストというお方が、私たちのすべての罪を背負うために、十字架にかかり、死んで下さいました。この恵みによって、私たちは赦され神の光の中を生きる者となりました。そして、「無知な者」であった私たちにさえ、何が神の喜ばれる御心であるのか、少しずつ理解が与えられるようになっていきます。本当にこれは、測り知れない神様の恵みであると思います。今日の箇所は、私たちがそのような恵みを切に求めるように招いています。

131節「わたしは口を大きく開き、渇望しています。あなたの戒めを慕い求めます」

ここで、「口を大きく開き」と言われています。この言葉からまず思い起こされるのは、小さな子どもの姿です。小さな子どもは、食べ物を差し出すと、何のためらいも疑いもなく、口を大きく開きます。それは、食べ物を与えてくれる親を全く信頼しきっているからであると思います。私たちの父である神様は、私たちがそのように、全き信頼をもって口を大きく開け、御言葉を求めるようになることを願っておられます。

そのように神様への信頼をもって御言葉を慕い求める時、神様は御言葉を通して、ご自身の御心を示して下さいます。それは、初めにあったように「驚くべき定め」であり、私たち自身の考えとは大きく違うことがあります。しかし、それでも神様の御言葉を口を大きく開けて求め、それを受け入れ、従ってゆくとき、神様は私たちを豊かに祝福してくださいます。クリスチャンの信仰生活は、そのような驚くべき恵みの積み重ねであると言えます。

 

2.神の憐れみを求める

さて、口を大きく開けて神様に求めるということが次に示していること、それは、神様の憐れみを求めて生きるということです。

132節「御顔をわたしに向け、憐れんでください。御名を愛する者への裁きに従って」

この箇所では「憐れんでください」と神様に向けて祈っています。「憐れんでください」と言うということは、自分が弱い存在、助けが必要な存在であるということを認めるということです。このことを一番よく知っているのは、やはり子どもたちです。赤ちゃんは自分の欲求を伝えるために一生懸命に泣き、子どもも、自分がしてもらいたいことを、何の遠慮も忖度もなく、主張します。しかし私たちは成長し、大人になっていく過程で、このことが難しくなってゆきます。自分の力で色々なことができるようになり、自分のことだけでなく、他の人のことにも注意を払うようになります。そして、誰にでも、何でも求めるということは段々しなくなってゆきます。

しかし私たちはどんなに大人になっても、天のお父さんである神様に、小さな子どものように、憐れみを求めることができます。そして、むしろそのように口を大きく開けて、神様の憐れみを求めるべきであると今日の箇所は教えています。それは神様が私たちの一人一人を愛しておられ、私たちをご自身の憐れみで満たしたいと願っておられるからです。この箇所には、「御名を愛する者への裁きに従って」とあります。これは、神の御名、イエス・キリストを信じ愛するすべての人のために定められた計画に従って、神様は私たちに憐れみを注ごうとしておられるということです。

私たちがイエス様を信じ、従ってゆく信仰人生は、決して平坦なものではないと思います。133節~134節を見ると、「わたしの足どりを確かなものにしてください」「どのような悪もわたしを支配しませんように」「虐げる者からわたしを解き放ってください」と書かれています。これらの言葉が示すように、私たちも信仰生活の中で多くの苦しみや葛藤を経験してゆきます。それは私たちを神様から引き離そうとする悪魔、サタンとの戦いです。そのような戦いの中で私たちに最も必要なことは、私たち自身が強くなることではなく、むしろ自らの弱さを認めて、神様に憐れみを求めることです。どのような時にも、口を大きく開けて、「御顔をわたしに向け、憐れんでください」と神様の憐れみを求めること、そしてそれを受け取ってゆくということ、これこそが、私たちがクリスチャンとして勝利してゆくために必要なことです。

 

3.救われていない魂のために涙を流す

神様は、すべての人が、イエス様を信じることを通して、このような神様の深い憐れみ、そして一人一人に定められた驚くべき神様の計画、これらを受け取るようになることを願っておられます。

皆さんは、誰かの救いのために、祈っておられるでしょうか?

今日の箇所は最後に、次のように伝えています。

136節「わたしの目は川のように涙を流しています。人々があなたの律法を守らないからです」

この箇所は、それまでの内容から、少し違って見えるかもしれません。しかしこれは、御言葉を切に慕い求め、受け取った結果として現れる心の動きを表しています。

私たちは、御言葉を知るようになればなるほど、神様の愛がいかに深いものかを知る者となります。それと同時に、神様が、ご自分を拒む人々に対して持っておられる悲しみがいかに深いものかを知る者となります。

神様は、罪を犯し続ける私たち人間の姿を見て、今も涙を流しておられます。ご自分の愛する御子を十字架につけ、傷つけ、はずかしめ、死に至らしめた人間の姿を見て、涙を流しておられます。

しかし神様は、一方的な恵みによって、イエス様を信じる私たちを赦してくださいました。そして、その恵みをいただいた私たちを通して、すべての人がイエス様の救いに導かれるように、神様は願っておられます。そのことを願う私たちの目からも、この箇所で伝えられているように、涙が流れ出るようになります。この涙とは、悲しみの涙ではなく、神の憐れみの涙です。神がわたしを憐れみ、流してくださった涙が、わたしを通して、今度は他の人のために流れてゆくということです。

わたしも、家族の救いのために祈っている者です。わたしが神学校で学んでいたころ、ある牧師に言われました。「あなたは、救われていない家族のために、まだ泣いていないのではないか」と。その通りであったと思います。心から、主の憐れみを求め、涙と共に祈るということ、それは今でもまだ足りないと思っています。しかし、これは自分の力でできるようになることではありません。今日の箇所は、「わたしの目は川のように涙を流しています」と伝えています。ただ涙を流すだけでなく、「川のように」流れるようになる、これは、神様の憐れみの深さ、激しさを表しています。私たちが神様の憐れみを受け取るとき、それは川のように激しく流れ、やがて、私たちの祈っている人のもとにも届いてゆくようになるということ、このことを信じましょう。

このような神様の恵みを、イエス様を通して、私たちが口を大きく開いて、大胆に求めてゆくことを、神様は願っておられます。そして、この恵みをいただく私たちを通して、すべての人が、御言葉を通して示されたイエス様の恵みと神の驚くべき計画とを知るようになることを、主は願っておられます。