悲しむ人の声を聞かれる神

創世記21章9~21節

人生には喜びや楽しみもありますが、涙と嘆きを伴うことの方が多いと思います。それを内に秘めながら私たちの人生は営まれます。ところで、アブラハムの妻サラには息子イサクが与えられました。サラは、そのことでしばらく幸福感を味わっていましたが、今や17歳の少年となった女奴隷ハガルとアブラハムの間に生まれたイシュマエルが、自分の息子イサクと戯れているのを見て、彼女の嫉妬と敵意が表面化しました。神に選ばれ、救われたと言いましても生まれながらの罪は、人間の力では取り除くことができないのです。少なくとも、神を信じる人は、そのことを自覚して絶えず罪の悔い改めをしなければなりません。アブラハムによって追放されたハガルとイシュマエルは、神の深い憐れみによって守られます。この母子が泣きながら荒れ野をさまよっていた時も、神はその愛をもって彼らを養いました。これは、彼らに等しい私たちも神の愛と守りの中で養われるということを意味しています。まさに、神は、私たちを養育し、成長させ、多くの恵みを与えてくださる愛の主です。

2018年8月5日 加山彰一