人間の思いを越えて働く神 

創世記25章1~11節 旧約時代の終わり近くまで、死後の意義ある生の概念は、存在しなかったのです。従って、死はほとんど終わりそのものでした。死は、すべての人に訪れるのであって、それはアブラハムにも、私たちにもやってきました。その際、アブラハムのように「長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死ねるかど ...

アブラハムの僕の祈りと信仰 

創世記 24章1~27節 アブラハムの故郷に着いた彼の僕は、井戸のそばで神の憐れみを求めて祈りました。彼は、イサクの嫁さがしという重大問題に当たって、決して人間的な思いと人間の力だけで事を進めようとはせず、神の御心を求めて祈ったのです。そして、神の答えは、彼の願いをはるかに勝り、アブラハムの信じる神 ...

悲しむ人の声を聞かれる神

創世記21章9~21節 人生には喜びや楽しみもありますが、涙と嘆きを伴うことの方が多いと思います。それを内に秘めながら私たちの人生は営まれます。ところで、アブラハムの妻サラには息子イサクが与えられました。サラは、そのことでしばらく幸福感を味わっていましたが、今や17歳の少年となった女奴隷ハガルとアブ ...

神は人に笑いを与える

創世記21章1~8節 聖書は「主は、約束されたとおりサラを顧み、さきに語られたとおりサラのために行われたので、彼女は身ごもり、年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。」(創世記21:1~2a) と語っています。この時、アブラハムは百歳、サラは90歳でした。サラについて言えば、子どもが与えられること ...