ブログアーカイブ
夢見るヨセフと兄弟たち
創世記37:1~11 聖書は「ヤコブがヨセフを偏愛したのは、年寄り子であった」と述べています。ヤコブは、ヨセフに特別な着物を与えました。物をもって愛を表すことは、異常な愛情のしるしです。神の愛に基礎を置かない人間的な偏愛や溺愛は、何一つ良い結果を生まないのです。続いてヨセフは、麦束と天体の夢を兄たち ...
目標を目指して走り続ける
フィリピの信徒への手紙3章12節~4章1節 聖書は、キリスト者の姿の一つに「目標を目指して走る走者」というイメージがあります。キリスト者は、ゴールである御国を目指してひたすら走り続ける走者というわけです。さわやかな春の季節、美しい花に囲まれている道を走ることもあれば、猛暑の砂漠の道を汗にまみれながら ...
キリストを宣べ伝える喜び
フィリピの信徒への手紙1章12~30節 パウロは、信仰のゆえに監禁されていました。この監禁で彼の福音宣教の働きが終わりを告げるどころか、自分自身と他者のために福音を前進させることになるのです。特に兵営全体に福音が知れ渡り、兵士たちが神を信じる者となりました。使徒パウロは、どのような状況においてもキリ ...
自由へと召し出される
ガラテヤの信徒への手紙5章2~15節 自由は、一般的に「自在、勝手気まま、遠慮がない、解放、釈放」という意味で使われています。これらの意味では、「自由」は掴みどころのないものとなってしまうでしょう。それでは、自由の本当の意味は何でしょうか。パウロは、ガラテヤの諸教会の人たちに「自由を得るために召し出 ...
キリストが形づくられるまで
ガラテヤの信徒への手紙4章8~20節 教会の中に惑わす人たちが入り込んで来ることがあります。そのような人たちは、福音の真理を曲げて教会を非難し、時に指導者を非難することもあります。教会を神の福音に沿って形成して行こうとするならばよいのですが、派閥的動機から敵意・反感を抱いてするならば問題です。使徒パ ...
キリストに結ばれる人は神の子
ガラテヤの信徒への手紙 3章1~6節、3章26~29節 信仰を言い表してバプテスマ(バプテスト教会は、洗礼ではなく「バプテスマ(浸礼)」と呼ぶ)を受けた人は、神の子としてキリストを信じる信仰共同体(教会)に属します。そして、その信仰共同体は、キリスト・イエスにおいて一つとされます。パウロは、この「 ...