ブログアーカイブ
歴史の中に見る神の救い
マタイによる福音書1章1~17節 ユダヤ人は、自分のルーツに強い関心を持っていて、自分たちの先祖が誰であり、どこから来たのかということを知ることによって、民族的アイデンティティを持つことができたのです。従って、ユダヤ人の先祖に対する意識は、他の国の人々と比較にならないほど強いと言わざるを得ません。確 ...
キリストの弟子となる
マタイによる福音書28章16~20節 旧約・新約聖書に一貫していることは、神が私たちと共にいてくださるという神の約束の確かさです。神は、イスラエルをご自身の選びの民とし、その約束を歴史の中で具体的に果たし続けておられます。その約束の内容は、神ご自身が創造された私たち人間を愛し、決して見捨てず、いつも ...
苦しむ人に良い知らせを
イザヤ書61章1~11節 人は誰でも心に傷を持ち、痛みを抱えて生きています。「私は大丈夫です。」と意気込んでも、弱さを身に帯びている私たちは、途方に暮れる時があります。また、「自己」に支配されて自己中心的(聖書では「罪」と言う)に生きる時があります。そのような時から解放してくださるのがキリストの福音 ...
祈りの家としての教会
イザヤ書56章1~8節 預言者イザヤは、神に選ばれた人たちに対して公平と正義を守るように告げます。そうすれば救いが実現し、神の恵みの業が近いとイザヤは宣言します。私たちが公平と正義を得るにはどうしても安息日(教会にとっては「主の日」)を守る必要があります。キリスト者が主の日に神を礼拝することができる ...
悔い改める人を侮らない神
詩編51編1~21節 ダビデの軍隊は、周辺諸国との戦いで連勝に連勝を重ね、彼自身もどんなに難しい局面に当たっても、それを打ち破るほどの政治的手腕の持ち主でした。ダビデは、望むことすべてを成し遂げる権勢を持ったのです。そのような時に、サタンが忍び寄るのです。人間は、自分の力によって立ち得るという自信を ...
神は私たちの避けどころ
詩編46編1~12節 様々な問題によって心がかき乱されるという経験は、誰にもあります。問題をはらんでいる私たちの日常生活の中にあって、神が行ってくれることを期待して待ち望むという信仰態度は、私たちの人生に欠いてはならないことです。「神は必ず私たちと共にいてくださる」という確信は、どんなことが起きても ...