神の恵みを無にしない

ガラテヤの信徒への手紙2章11~21節  キリスト者にとって重大な事柄は、神に救われたことです。これこそ、神の恵みです。従って、神の恵み以上のものはこの世に存在しません。主イエス・キリストの十字架によって示された神の恵みは、聖なるもの(神ご自身のもの)です。私たちは、その神の恵みを感謝していただくだ ...

福音はほかにない 

ガラテヤの信徒への手紙1章1~10節  ガラテヤの諸教会で起きたこと(キリストの福音から離れる)は、今日、どこの教会でも起こり得えます。使徒パウロは、激しい感情を表しながらガラテヤの諸教会に対して、責任をどのように負うのかを迫ります。彼は、「ほかの福音」に傾倒し、彼自身の伝えたキリストの福音から離れ ...

恐れから喜びへ

ルカによる福音書24章36~53節  キリストの復活は、今から2000年前に起こった歴史的事実です。そのことが四人の福音書記者によって聖書の中に明確に記録され、イエス・キリストに出会い、生活を共にした弟子たちが自分たちの師匠、人類すべてのメシアである主イエスの復活を記録しているのがイースターの実際の ...

今日、主と共に楽園へ 

ルカによる福音書23章36~43節 エルサレムの郊外のゴルゴタの丘を埋め尽くす人々の叫びは、サタンの息のかかった者たちの十字架のイエスに対する嘲りでした。私たちは、どうでしょう。「私はそういう者ではない」と思っていても、主イエスや他の人々を嘲っていないでしょうか。もしそうであれば、主イエスの十字架を ...

振り向いて見られる主 

ルカ 22:31~34, 54~62 ペトロは、主イエス・キリストの12人の弟子たちの中で最も熱心な弟子であり、「岩」という呼び名を付けられたほどに激しい性格をしていました。たとえ、どんなことがあっても、決して主イエスを否認するようなことはしないと誓ったのもペトロでした。しかし、人間は弱い者です。ペ ...

共に心を燃やして 

ルカによる福音書24章13~35節  希望を失いがちな現代社会にあって、教会に集う人々は常に希望に生きています。なぜでしょうか。それは、主イエス・キリストの復活を信じることで、心を燃やして生きることができるからです。燃える心は、神を愛し、隣人を愛することができ、人々を生かす喜びをもたらします。主イエ ...

神の国はあなたがたのもとに

ルカによる福音書17章11~21節 ガリラヤとサマリアの間の辺境地に隔離された重い皮膚病を患った人々は、身を寄せ合いながら暮らしていました。主イエスがこの地に入られると10人の患者は主を迎えて「私たちを憐れんでください。」と叫びました。主イエスは、彼らを祭司のところへ行かせました。しかし、主に感謝を ...

金持ちと貧しい人のたとえ

ルカによる福音書16章19~31節  このたとえ話は、死後の世界が描写されていることで特異な聖書箇所と言えましょう。ところで、このたとえ話は、人間の富裕と貧困を問題にしているのではなく、私たちが豊かであろうと貧しくあろうと、すべきことを示唆しています。それは、神の御前で悔い改めの日々を過ごすというこ ...

私たちに対する神の憐れみ 

ルカによる福音書13章1~9節 ルカ13章1~5節は、主イエスがエルサレムで起きた二つの出来事を取り上げて、私たちに対して罪を悔い改めることの必要性を述べています。さらに、主イエスは、自分の罪を悔い改めようとしない人たちに「ぶどう園の実のならないいちじくの木」(ルカ13:6~9)のたとえを話されます ...

祈り求めれば与えられる

ルカによる福音書11章1~13節 「神に祈ってもだめだ。」と言って、祈りをやめてしまう人がいます。その人は、祈りを誤って理解しています。主イエスは、弟子の一人から「祈りを教えてください。」と言われた時に、「祈るときには、こう祈りなさい。」と答えてから教えられました。それが「主の祈り」です。ところで、 ...